2012年01月30日

映画にみる憲法の精神 第11回

映画にみる憲法の精神  第11回
 『太陽』 
(2005年/ロシア・イタリア・フランス・スイス合作/115分/監督:アレクサンドル・ソクーロフ)

  1945年8月。その時、彼は庭師のように質素な身なりをしていた。その人の名前は、昭和天皇ヒロヒト。宮殿はすでに焼け落ち、天皇は、地下の待避壕か、唯一被災を免れた石造りの生物研究所で暮らしていた。戦況は逼迫していたが、彼は戦争を止めることができなかった。その苦悩は悪夢に姿を変え、午睡の天皇に襲いかかる。みるみるうちに焦土となる東京。失われる多くの命。うなされるように目を覚ます天皇の孤独。日本は、まだ闇の中にある。やがて、連合国占領軍総司令官ダグラス・マッカーサーとの会見の日が訪れる。彼は、ひとつの決意を胸に秘めていた…。
 
  内容については賛否いろいろとあるかと思いますが、天皇の私生活を描いたという点で画期的な映画です。戦後の日本映画で、天皇そのものを描いた映画は私の知る限りではありません。いわばタブーのテーマです。本来「象徴」としての天皇ですので、さまざまな議論があって然るべきでしょうが・・・。

憲法は、まず初めの第1章において天皇を規定しています。それほど、戦前と戦後に一線を引く、重要な位置づけなのでしょう。
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。 
第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する機能を有しない

  戦前の支配層が敗戦を受け入れる条件として国体(天皇制)の維持に最後までこだわっていたことは周知の事実です。一方アメリカは、台頭するソビエトへの牽制として日本を資本主義圏に置く必要から天皇の戦争責任を追及せず、その中で生まれたのが象徴天皇です。

  いづれにしても、天皇のことを論ずることがタブー視される風潮は、象徴天皇にはふさわしくないかと思います。天皇の存在そのものも含めて、もっと風通しのよい雰囲気が国民の間にほしいものです。憲法もそう望んでいることでしょう。

  ちなみに、巨匠ソクーロフ監督はこの他にも歴史上の人物を描くという構想のもと、ヒトラーの「モレク神」、レーニンの「牡牛座 レーニンの肖像」があります。     北川   
posted by わたりどり at 19:09| つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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